4年前の感情をもう一度、味わう

悪夢をみている気分です。
高3の時の日記を読み返しました。

私はバカ真面目に生きる事と死ぬことについて毎日向き合っていました。
奮闘という言葉が相応しいと思います。
私は色々な言葉に傷つきながらそして傷つけもしながら、毎日泣いて、課題をして、運動をして、カロリー計算をして、過食をして、周りの人に支えられて、パニックになって日々彷徨っていました。
当時の私は、母に「私が家庭を作ったのがいけなかった」と言わせてしまい、
「吐くなら食べるな」「早く入院しろ」と言う暴言を吐いてしまうまでには弟に不快感を抱かせ、
「食べるなら自分の部屋で食べな」「完治したら戻っておいで」と温厚な父でさえも呆れの気持ちを隠しきれない程に困らせてしまいました。
申し訳ない気持ちと共に、自分でさえもよく理解できていなかった当時の目に見えないSOSに今の私なら気付けます。

学生時代、多感な時期ですよね。親とコミュニケーションのずれを生じさせて、家で居場所がなくなってしまったら、家以外でそれを補えるだけの安心感、居場所がなかったら、どこで心を落ち着かせればよいのでしょうか。

親が養ってくれるから生きていける。
親が自分の存在を否定する言葉を吐く。
親が養ってくれなければ生きていけない。

 

その事実だけが頭を掻き廻り、自分の力で生きていけないのが悔しくて、それでも親には抱きしめられたくて、家にいると”邪魔だ”という言葉が聞こえてきてしまうけど、それでもやっぱり「ただいま」といって帰りたい場所。

 

現在の母はすごいです。人間改革をおこしました。
今年を一文字で表すと「学」だそうです。
「50歳、まだまだ学ぶことが多い」
「家族がいるから新しい経験がいっぱいできる。色々教えてくれる」と母は言います。
「子供達のおかげで、自分の未熟な所が分かった。もっと早く気づけばよかったのが申し訳ないけど、今気づけたから、変えていけるよ」とまで言います。

強いです。かないません。
母は私の病気を通して、たくさん悩み、考え、行動をし、成長をしています。
一方、当本人である私は、、、、、、、。

 

今日はここまで。
皆様の心が平穏で今日を過ごせていますいますように。
シャンティ。